わりと多くの困難的なものがやってきて、そういうもんなのかなあとも思いますが、なんだかんだでぼくは4号、つまり夏ごろからですが編集的な仕事を任されて、当の骨ダンはもうそれ以前から続いていて、今号でもう1年になるわけです。どうも、なんか今号は編集後記といい金子さんといい全部が全部今年1年がどうこうみたいな話ばっかりしてるような気もして、「今年」「1年」とかで検索してみて、一体何回ぐらい使っているのか気になりますね。
波乱と共に迎えられた10年代の、その先駆けとしてあろうと思いつつやってきたこの1年を振り返り、それが果たしてどういうものであったのか、同時にまたぼくじしんにとってある種1つのスタートでもあるこの場所が、これからどのような変遷を辿っていくか。語られ直していくことで輪郭は見えてくるにしろ、過去も未来も未だ未消化なものが多く、どう扱っていけばいいのかよくわかりません。とりあえずはこの詩誌がぼくやあなたが何か新しいこと、楽しいことをしていくにあたっての小さな助けになれればいいかなと思います。つまり、萌芽しつつあるものを抱えていければいいかなという、それだけがぼくの願いです。〔鈴木〕
今日、二月九日が「骨おりダンスっ」が誕生して丁度、一年目だという。個人的にも、色々な出来事が通過していったが結句、やはり誕生するということは災厄だ。
「生まれ出ることによって、私たちは死ぬことで失うのと同じだけのものを失った・・・」(エミール・シオラン「生誕の災厄」より)
しかし、失って尚も、日々は眩暈がするぐらいに続いている。それは時に、災厄に対する不感症を引き起こし、時には悪化させ、私たちの存在を危うくもしたりするが、勝手にしろというだけの話であったりもする。
災厄のうえに胡坐をかいて、わめき散らし、疵を負っても、交わりたいとおもう。
この「骨おりダンスっ」も、グダグダにやってきたにせよ七号である。この営みが、ささやかではあるが前向きな共犯を築ければ最善である。そのためには、次号から(まだまだ続くと仮定して)もっともっとあなたの秘匿された場所へ侵入するために身体を水に近ずけなければならない。そして絶え間なく流れ続け犯し続けていかなければならない・・・とカッコつけても始まらないが、次号からも鈴木君やらと鼻水垂らしながら、いっしょけんめいにやりたいとおもっている今日この頃です。あ、それと遅すぎますが、あけて、あけましておめでとう。〔金子〕
読者として、一言苦言を呈します。ネットでオープンに表現を発表しているのでしたら、コメント欄への真摯な読者の書き込みに対しても、きちんと対応すべきです。とても、閉鎖的だと思っております。その陰湿な閉鎖性はとても、気味が悪いです。自分たちだけで固まるのはいいのですが、では表現の場所を何故ネット上に求めるのでしょうか。自分の身を晒しているのですから、刺さってくる棘は一つ一つ丁寧に抜くべきではないでしょうか。それが、ネットで読む読者への、最低限の礼儀(もしそういう意識があったらですが)ということだと思います。
メールの確認や返信が場合によって遅れる、できないなどの不手際については現在改善中です。スパムメールの山に埋もれてしまったり、諸事情があって私自身がしばらくパソコンでインターネットにアクセスができなかった間に流れてしまったりしていたと思いますので、お手数ですが何かありましたら連絡をいただければ幸いです。